四国 序章 2003年1月19日


 午前3時前後に決まって目が覚める・・・暗闇の中、
TVのスイッチを入れた。

いつのころからか四国をめぐりたいと思い始め・・・
西へ向く心が旅立ちをつのらせた。

札所の所在をツーリングマップで確認する。
地図に点在するお寺の名前と札番をマーカーで印を付け
辿る道々に思いをめぐらす。
室戸岬と足摺岬の行程は90km
歩き遍路の人は1日約30kmを目安に歩を進めると言う。
3日間の歩みは苦行となるのか癒しとなるのか
地図を見ている「今」は想像すら出来ない。

TV画面に吸い寄せられた。
安楽寺・青龍寺の名が語られていた。

ある写真家が四国を訪れ
自身の心を垣間見た旅を語る番組だった。
TVの画面の移ろいに明かりがうごめく暗い部屋で一人見入った。
地図で知った寺が目の前に現れ
2ヵ月後・・・その地に居る自分を重ねた。

TVの中で語る写真家は
兄の死を受け入れられない。
自分は生きている・・・
なぜ、自分が生かされているのか
兄は、なぜ死ななければならなかったのか
答えを探したくて・・・
自分の中に納得できる拠り所を探したくて
写真家は四国を訪れたのだと
その思いを感じた。

遍路道を歩く人の列を遠く見て・・・
道に連なる人の姿が数珠のようだと
写真家は言う。

写真家はインドに写真撮影の旅をした時、
ガンジス川に流された遺骸が
岸で犬が喰らっているさまを目にした。

組み上げられた木々の間に横たえられ亡骸は焼かれ
灰と骨はほうきでバサバサと掃き散らされもした。

何の思いも残していないような様子に
愕然とした・・・・が・・・・
でも、そんなものかもしれない
インドの光景は整然と爽やかな終焉と感じた旅の風景だったことを
写真家は話す。

写真家は癌を患い苦しみながら死んだ兄の姿を前にして、
静かに穏やかに迎えた死ではない
不条理と思える兄の死を
受け入れられず四国を歩く

安楽寺の片隅に立つお地蔵様に兄の面影を見て
迷う心に覆いかぶさっていた何かが・・・一瞬
すぅーーーっと取り払われ体が軽くなったのを感じたと語る。

救いを求め彷徨う為に八十八カ所があるのか・・・

私は・・・なぜ四国を巡ろうとしているのか
自分自身は救いを求めているとは思っていなかった。

午前4時15分書きとめ
 
  

       

                   四国遍路へ

                        
                   心象写真と徒然想句展 
                                   

                                                       









 2003年 4月9日出発 

 4月11日 四国入り  

 4月12日 みろく公園の朝 
              香川の子供達 
 4月13日 宇多津周辺 

 4月15日 弥谷寺幽玄  

 4月16日 雲辺寺から 三角寺 前神寺

 4月17日 横峰寺