群馬県知事小寺弘之殿

私は桐生市在住の山田穂子と申します。

去年10月、高崎シティギャラリーにて「いのちのメッセージ展 開催を
させていただきました。


群馬実行委員の一人です。

開催に際しましては、知事殿より「いのちのメッセージ展」へ
心のこもった言葉をお寄せいただきありがとうございます。

【自らの夢に向かって努力を重ねていた若者、

あふれるほどの愛情を一身に受け世の中を信頼しきっていた

幼き子、最愛の家族と幸せな

日々を送っていた方、

そんな方々の命が一瞬にして奪われてしまう。

それもどう考えても納得のできない理不尽な死であったら。

命を奪われてしまった方の無念さを、

その無念な気持ちを痛いほど感じているご家族の切なさを、

このメッセージ展は語っていると思います。

そして、そのこと以上に、同じ辛い思いを背負う多くの方々が

未来に向かって歩むためのエールを発していると感じました。

 

人の悲しみを人の悲しみで相殺することはできません。

人の悲しみは、共に感じ、思いめぐらし、気持ちと経験を

共有することによってのみ克服されうるのだと思います。】

理不尽に奪われた命を悼み

残された家族(遺族)の心の痛みを悲しみを

気持ちと経験を共有することで・・・・と

お寄せいただいたメッセージにありました。

悲しみに打ちのめされた遺族に心寄せていただいた知事殿の

ご厚情あついメッセージを大変うれしく思いました。


本年4月には「いのちの伝言パネル展」を県民ホールにて開催させていただきました。

去年はプレメッセージ展を南ホールをお借りして

群馬県内のメッセンジャー4人のオブジェを主に展示させていただきました。

4人の中に松岡正浩さんがおりました。

今年の4月のパネル展には松岡正浩さんは参加されませんでした。

和解案が提示されていたこともありました。 

519日職質訴訟の和解を新聞が報じていました。


私は松岡正浩さんのお母さん則子さんに

「裁判が終わって良かったね」とは言えません。

則子さんは”謝罪の言葉”が無いことを本当は納得出来ずにいます。

私の場合、

息子の事故直後から過失の押し付け誹謗中傷と言葉の暴力を受けました。

また、損害保険会社が介在し

息子を殺した加害者は謝罪の言葉を出さないように指示され

直接会うことも拒否しました。

人としてあるべき謝罪をせず賠償金を払って済ませようとした加害者を

私は未だに許すことは出来ません。

 松岡正浩さんの事件のあと

パトカーは赤色灯を付け追尾するようになった。

警察と名乗るようになったと耳にします。

(当たり前のことと思っていました)

此処数ヶ月、県内においてパトカーの過剰追尾によると思われる事故が

数件報じられています。

その時々で状況に違いがありますが

大切な命を守る立場の警官による職質に絡む事故を無くすために

県警は組織の「建前」を守るのではなく

真摯に組織改善を図るとともに”断たれた大切な命”を悼み

「生きる時間を失った方へ」

「ご家族(遺族)」に
心からの謝罪をして欲しいです。

犯罪を未然に防ぐために怪しい人物に職務質問をすることは警官の職務と思います。

でも

どうして、善良な一県民が職質に関わり「追われ」

命を失うことになったのでしょう。

将来、警察官になりたいと希望を膨らませていた青年が・・・・

どうか、心からの謝罪を松岡正浩さんとご家族に表してください。

「遺憾に思います」など・・・うやむやな言葉でなく

心に届く言葉が県警からありますよう

願って止みません。

小寺知事へ直メール
      2006年5月28日送信