年月の経過とともに |
大助の友人は生活環境に変化が見られます。 職場では責任ある立場となり仕事上の技術力アップを目指したり、 家庭を持ち親として家族を守る 一人前のオトナと認められる年齢になりました。 心の片隅に大助のことを留めてくれているようですが、 日々の生活に追われ18歳のままの大助の存在は 霞んでいくように感じられます。 大助がバイクの修理をする姿や接客する姿を思い巡らし やり場のない怒りが込み上げるのを 自分の中に飲み込んでいます。 あの日以来 私は大助に部品を取りに行ってもらったことを、 ずぅーっと、悔やんでいます。 大助は私の身代わりになって事故に遭ってしまった 自分が生きていることを申し訳なく思うのです。 どなたか知り合いの方から 「息子さんの分もしっかり生きてね」と言われたことがありました。 私を力付ける為の言葉だったのかと思いますが・・・ その時は・・・・その言葉が胸に突き刺さりました。
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目標を持つ 私が出来ることで大助の目標や夢を私自身の課題として やり遂げようと考えました。そうすることで私は大助から 生きることを許されるように思えました。 大助がやろうとしたことを私が代わってすることは、 大助の思いと共に生きることなんだと思いました。 いつの頃からか・・・・ いのちのメッセージ展にメッセンジャーとして大助を参加させたい そして、群馬でもメッセージ展を開催したいと思いました。 この世から旅立ってしまった人たちの存在の証し、伝えたい思いや言葉を 「いのちの伝言」に込めたい メッセンジャーは「いのち」の重さ 思いやりを持って いじめや犯罪、交通事故撲滅の警鐘を静かに鳴らします でも、・・・・ 参加までに時間を要しました。 メッセンジャーとして参加する大助の写真を選ぶことや、 伝えたい言葉を文にすることがなかなか出来ませんでした。 大助のクツに触れることも出来ませんでした。 初めてメッセンジャーとして立つ大助に会った日 メッセンジャーの大助が、そこに存在していると思えました。
2003年11月 長野開催からやっと参加することが出来ました。
私は、大助もメッセンジャーとして、いのちのメッセージ展会場で、 大切な「いのち」のことを語る活動をしていると思っています。
いのちのメッセージ展in群馬 開催準備の頃 2005年4月
初参加の長野で、群馬でもメッセージ展を開催したいと決心し 角田さんも同じ気持ちであったことで群馬開催に思いが固まりました。 互いの息子はバイク好きで、性格も似ているところがあって、 母親同士もライダーであるところから メッセージ展準備に向かう道すがら息子のことを語り合う時間が楽しく、 高崎や前橋の往復も苦になりませんでした。
プレメッセージ展の県庁県民ホールで、子を亡くした悲しみを抱く親同士で 語り合った時間が「とても心癒された」と言っていただきました。 「ただ語り合うだけでいいんです。そんな語り合える場が欲しい」 そうした希望の声から、“ゆいハート語りの会”が小さな産声を上げました。
***桜散る春・・・息子大助を思い・・・生きる***
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