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2006/10/22 釧路新聞

「時効前にやれることを」
標茶高校生バイク事故
木村悟さんの母、孤軍奮闘

 標茶町で1999年10月、標茶高校に通っていた木村悟さん=当時(16)=が亡くなり、
遺族が告訴、
釧路地検は「事件性なし」と22日の公訴時効前に再度の不起訴処分としたが、
悟さんの母・富士子さん(49)は「時効までにやれることをやっておきたい」と
釧路新聞に手記を寄せるなど、孤軍奮闘している。
 富士子さんは本紙の取材に対し、失踪当日の模様を詳しく述べるとともに
1枚のメモを手渡した。鉛筆で走り書きした文面には、
「命は誰のものでもなく悟のものです。/かけがえのない命。/
たった16年間しか生きることのできなかった悟です。/
どうか自首してください。/お願いします。/
木村富士子」とある。

 悟さんはバイク事故亡くなったとされたが、富士子さんはいまだに死因に疑問を抱いている。
「事故があったのは22日とされていて、遺体発見は25日。私は悟の命日すら分からない」。
26日には17歳の誕生日を迎え、翌日から修学旅行に出掛けるはずだった。
長男を突然奪われた母は遺体発見現場で「悟のためにできることはすべてやりたい」と
冷たい秋風に吹かれながら、暗闇を見つめた。 

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2006/10/24 北海道新聞釧路地方版

標茶・バイクの高2死亡「時効」が成立
残る疑念「やりきれぬ」
悔しさ募らす母親
同級生「おかしなことばかり」

 【中標津、標茶】中標津町の遺族が被疑者不詳で告訴していた、
標茶町での高校生バイク死亡事件の傷害致死罪での時効が二十二日、事実上成立した。
この事件では再捜査した釧路地検が十七日にあらためて不起訴処分としたばかり。
しかし、高校生の死因などにはなお多くの疑問が残ったままで、
遺族や関係者の気持ちの整理はつきそうにない。(内山岳志)

 「このままじゃやりきれない…」。
母親の木村富士子さん(49)は中標津町の自宅で悔しさを隠さなかった。
 
長男の悟君=当時(16)=は、一九九九年十月二十五日、標茶町の町道わきで、
バイクと一緒に遺体で発見された。友人宅を出た最後の目撃情報から三日がたっていた。
 当初、弟子屈署は遺体を司法解剖せず、木村君が運ばれた病院の医師は死因を
頸椎(けいつい)骨折で即死と診断した。同署はカーブを曲がりきれず路外に逸脱した
単独交通事故死とした。

 しかし、富士子さんは次の点を不自然だと指摘する。
《1》ヘルメットに傷がない
《2》手袋と靴が脱げていた。いくら衝撃が激しくても脱げるはずがない
《3》遺体に目立った外傷がない
《4》ハンドルにあるエンジンのスイッチが「切」になっていた。
即死なら、切れない−。
 
遺族は「何者かによる傷害致死の可能性がある」として二○○三年、
道警に告訴した。これを受けて道警は遺体写真の鑑定から
「頭と胸部の打撲による失血死の可能性が高い。
即死ではなく、事故後二十四時間から四十八時間生きていた可能性がある」と
修正した。

しかし、事故死との見方を覆す証拠は見つからなかったとして捜査を終了、
釧路地検に事件を送り、同地検は今年一月、不起訴処分とした。
 これを不服とする遺族側の訴えで、釧路検察審査会は
「不起訴不当、捜査やり直し」を議決したが、
同地検は十七日、再度不起訴処分を決めた。

同地検は
「事故の衝撃で、ヘルメットと手袋は脱げる。または生きていて自ら脱いだ可能性がある」と
説明した。
これに対し、富士子さんは
「警察の再捜査で死因が変わり、地検の再捜査も『事故でも起こり得る』と
強調するばかり。事件の可能性があるとした審査会の判断を軽んじている」と憤る。
木村君にかかわりのあった高校の同級生などは警察や検察から度々事情を聴かれた。
同級生の一人は「おれたちは正直に話したのに、疑われた。
初めに警察がちゃんと死因などを調べていればこんなに疑惑が残ることはなかったのに」と
話す。
 
木村君は無免許だったことが問題を複雑にした。
当時、木村君が通っていた高校の教諭は
「木村君をかばって誰も木村君がバイクに乗っていったことを言わなかった。
それが家族の不信感を生んだのでは」と話す。

当時、木村君を探して同級生や先生も現場を車などで通ったが、遺体は見つからなかった。
三日後、歩いて探した教諭が見つけた。
車で探した同級生は「ゆっくり走ったので見落とすはずがない。
おかしなことばかりだ」と釈然としない。
 
釧路地検は「捜査のミスはなかったが、解剖した方が死因がはっきりしよかった」としている。

「息子の命日さえもはっきりできず無念」と話す木村富士子さん