息子の命が断たれた原因を知りたいのです

母の思い

私の息子が平成11年10月22日にバイク事故で亡くなりました。

約4日間野外に放置され学校の先生が息子を発見してくれました。

発見が遅れたのはクラスの子が行き先を知っていたのに、

知らないと嘘をついていたためです。

死亡診断書の死因は「頚椎骨折」?

発見時の状況は身体が仰向けで足がまっすぐそろっていて、

靴、軍手が散乱、目が開いて口から血が流れていました。

ヘルメットは、顔の右横にきちんと脱いだような状態で

バイクは身体より5メートルくらい先で

路外の斜面に立てかけた状態でした。

眼鏡は、発見時には見つからなかったのに

11月6日に現場に行き息子の足の先30CMくらいのところに

折りたたんだ状態でありました。

息子の葬儀が終わる頃に

「無理やりバイクに乗せられていた」

「2〜3台のバイクで走っていた」「囲まれた」等の話があり、

警察に言いましたが取り合ってくれず、単独事故として処理されました。
情報公開を申請しましたが却下されました。

その理由は「特定の個人の名誉が侵害されるということです」

私はどうしても息子の死に納得行きません。

 




命日は不明 

ジャーナリスト 柳原三佳 2003年8月23日

お仏壇の位牌には、命日が「平成11年10月22日」と刻まれています。
 しかし、
「息子の命日は、本当に22日なのでしょうか……」
 そう言いながら、木村さんは泣いておられました。
 事件からすでに3年9ヶ月が経過していますが、

息子さんの死の真相は、未だにはっきりしていません。
 こんな惨いことがあってよいのでしょうか。

事故は22日の午後5時すぎ、木村さんがオートバイを運転中、

路外に逸脱し、立ち木にぶつかって死亡したとされるが、

逸脱の状況や速度などは分かっていないという。

死因は頚椎骨折とされた。

木村さんは発見の3日前から行方不明になっていた。
亡くなった息子さんは、当時16歳の高校2年生。

乗っていたとされる250ccのバイクは盗難車だったが、

それは別の人物が盗んだものだったという。


単独事故の矛盾点

ヘルメットが脱げていて衝撃によるへこみがない点や、

脱げにくいスニーカーが脱げている点

さらに頚椎骨折とされた死因についても、

死後3日経過しても死斑が出ていない

「体に血がたまると死斑が出にくく、体内での出血の可能性がある」

疑問

 

 





死亡推定時刻について

母親の富士子さん(46)が弟子屈署から受けた説明では、

木村さんがバイクで出発したとされる友人宅から

遺体発見現場までの距離から推定したものだという。

また、死後3日たって発見されたのに、

動物が遺体をついばむといった損傷がほとんど見られない点など

矛盾だらけである。 


捜査にあたった弟子屈警察署は

現場の状況から「バイクの単独事故」と断定。

死体検案にあたった医師も、交通事故という前提で

「頚椎骨折で死亡」と診断した。

また、死亡推定時刻は、司法解剖すら行なわれないまま、
同級生らの証言だけを鵜呑みにし、22日の午後5時5分とされた。
 しかし、悟君の両親は、当初から、警察や学校、同級生らの対応に

不信感を抱いていた。

●本当に交通事故だったのか? 

  本当はなんらかの事件に巻き込まれたのに、

バイク事故に見せかけて、現場に放置されたのではないのか……