<O氏陳述書 バイクに関わる大助の姿を語る> 山田大助君とのエピソード 1 : 私と「はんぐおん」さんとの出会い 私と「はんぐおん」さん(以下敬称略との出会いは平成3年からである。 買ったばかりのバイクで「はんぐおん」の前を通りかかると、自分のバイクと同じものが 格安な価格で表示されていた。寄り込んで聞いてみると生産中止車種なので・・・・との 回答であった。私はいつ生産中止になったのですかと聞くと、数ヶ月前と言われたことを 覚えている。 私は50歳近くなってバイクへの回顧から、どうしても乗りたくなって 別のバイクショップで衝動的に買ってしまったのである。 この価格差にショックを受けるとともに、この店は良心的であると思った。 早くから「はんぐおん」を知っていたらと改めてバイクショップ選びの難しさと運の悪さを悔やんだ。 それに、この店は自宅(当時桐生)からも近いし出入りのお客さんをみると、いかにもバイクが好き というライダー達が集まってくる。店に入れば誰でも仲間として認められツーリングでの想いで話など 店の奥さんも大助君も一緒になって和気藹々で話しかけてくる。 お客さん同士の楽しいコミュニケーションの場にもなっている。 私はハッキリ言って暴走族のあんちゃんが集まる店ではないことに安心し、 この店が気に入ってしまった。 私ごとであるが、 平成4年7月、私は前橋から太田に転勤した。職場ではそれとなくバイク愛好者同士が集まって 休日ツーリングに出掛けていた。私は管理職として悲惨なバイク事故が起こらないことを願い、 職場内に「ツーリング愛好会」を発足させ定期的な会合を持ち、安全運転マナーが身に付く コミュニケーションの場を設定した。 活動の一環として、太田市主催のバイク講習会への参加や、雑誌「モーターサイクリスト」からの 交通法令、バイク事故例の紹介、また「はんぐおん」のツーリングに参加して覚えた運転・技術マナーなど、 会合時に安全運転レベルアップの資として参考にさせてもらった。 このように仲間同士のコミュニケーションの場があるとことは、生きた運転技術・マナーを 習得できるので安全運転に多大な効果があると考える。 2 : バイクメンテナンスのことで CBR400Fは平成5年5月に「はんぐおん」で購入し楽しく乗らせてもらった。 ある程度走行するとチェーンに緩みが出る。またオイル交換も必要だ。 ある日、チェーン調整等してもらうため「はんぐおん」に出掛けた。 てっきりご主人がやるのかと思っていたら大助君が「私がやらせてもらいます」と言って 慣れた手つきでやってくれた。ご主人は口頭による技術指導が主であった。 ”好きこそものの上手なれ”という諺があるが、大助君が外したボルトナット、カバーなどは 取り付け順序を考えて整理して並べてあったし、取り扱いがとても慎重かつ丁寧で安心して 見ていられた。この時、私は、「この子は本当にマシンが好きなんだな」と感じた。 また、もっと、もっと腕を磨いて有能な後継者になって欲しいと心から声援を送った 3 : ツーリングでのこと 出流山 満願寺 ツーリング フォト 平成4年11月8日、出流山へのツーリングは小俣から山道に入り、 落ち葉によるスリップに注意しながらの慎重なコーナーリングであった。 主要道路に出てしばらく行くと広い場所での休息となった。 大助君が私に、「Oさんのバイクを汚してすみません」と言った。 私には言っている意味が良く分らなかったので「何のこと?」と聞き返した。 その理由を大助君は、バイクが2ストで燃料が混合油のため燃焼時に オイルの燃え残りが排気ガスと一緒に排出されるためと云った。 大助君は後続車の私にオイルが付着することを詫びたのである。 そして、忘れずに汚れを拭いてくださいと........ このとき私は、こまやかな気配りのできる大助君に感心した。 4 : まさかの事故こと 平成5年3月、私は市内仲通りをバイク(CBR400F)で走行中、前方右方向から急に飛び出し 左方向へ横切る乗用車に気付き思わず急ブレーキをかけた。バイクが停止する直前、 バイク前輪が相手車両の後部に接触した。その瞬間、私はバイクと共にその場に転倒した。 「まさか飛び出してくるはずがない」......”まさかの事故”であった。 避ける操作は全くできず、ただぶつかるのみであった。しかし咄嗟のブレーキで バイクの前・後輪同時に急ブレーキがかかり真っ直ぐに止まれたことが せめてもの救いであった。転倒時に手をついた衝撃で打ち身痛さを感じたが外傷はなく 湿布薬で直すことができた。警察が入り、その場で事情聴取されたが相手が全面非を認めてくれた。 「はんぐおん」に事故車を持ち込み ダメになったフロントフォークの修理を含む諸手続きをしていただいたが、 その時の状況を大助君は関心を持って聞いていた。私も大助君に交通事故例として バイクの怖さを話、お互いに気をつけようと言って帰った。 5 : 将来のこと 平成7年1月頃と思うが、「はんぐおん」に行ったとき、ご主人、奥さん、大助君がいたので 4人で世間話をしたことがある。私は職業上の理解活動もあって原子力の必要性などを説いたが、 大助君がいろいろと質問するものだから長時間の会話となってしまった。 その中で大助君の高等学校卒業後の話になり、どうするか決めかねているらしかったので、 大助君に上の学校へ行けたら行った方がいいよ。親は何とかしてくれるものだよ。 できるだけ甘えた方が得だよ。......などと話した記憶がある。 また、これからはエレクトロニクスとマシンをマスターしないといい技術屋になれないよ。など.... 大助君のバイクへの情熱を感じ、立派な技術者としての期待感を込めてアドバイスしたことが、 結果的には専門学校への入学につながったのだと思った。 よかったと一安心したものの、僅か18歳で人生の終焉を迎えるとは誠に残念でならない。 それも、将来を託した大好きなバイクに乗ってである.........。 心からご冥福を祈るものである。 追記 大助君は自分の子供と「同年代」そして「バイク好き」ということもあって 親しくつきあっていた。親子ほど離れているが「友達」である。 交通事故で「何も語れずに亡くなってしまった」のは悲しい限りである。 少しでも大助君の言い分を聞いてやれたらと思うと、 今もって、やりきれない気持ちになる。 お店の片隅で「オートバイ雑誌」を熱心に読んでいる君の姿が目に浮かぶ。 君はきっと云いたい事があるだろう。 「はんぐおん」という店で、父さん、母さん、ライダー達に囲まれ、ツーリング技術・メカ技術 幾多の交通事故例を学んでいたのだよ。 私と同様「まさかの事故」に遭遇したのではないのか? 今は「はんぐおん」の見える直ぐ上の高台で眠っている「大助君」......... あまりにも逝くのが早すぎる。 記 : 平成10年2月14日 |