失くしてしまった身内の魂を迎える数日間、
以前は、お盆休みを浮かれて過ごしていました。
帰省ラッシュの長い長い高速道路につながる車の列、
混雑、それを知らせるニュース季節のありふれた風景、
どんなふうに休みを過ごそうかと思い巡らすだけの夏でした。

盆参りは季節の行いでしかなかったような・・・
悲しみは薄らいで区切りを重ね、
そこ此処のお宅にうかがって、
お参りをさせていただくと言う感覚でしかなかったのです。

お寺へ灯明を頂に行って盆飾りをしたお仏壇のロウソクに灯を移した
家の入り口で夕闇の中、迎え日を焚いた・・・・
なんで、こんなことをしなければならないんだろう
こらえ切れずボタボタ流れる涙をどうすることも出来なかった。

8月12日、大助が最初に愛機としたYSR80をガレージから出して
二階の仏壇の横に置きました。
指導日誌の始めに書いた時のまま・・・
ガレージに収められたYSRは大助の新盆に家に戻りました。

「迎えに行くから」と言った大助は、
ガレージからYSRを出してあがられなくなった。
父がガレージから出してホコリを落し磨きました。
大助はYSRにパーツを組み上げ愛機としました。
大助が抱いていた思い・・・・
父と母は大助との接点を見つけたくて大助がやろうとしたことを
 ”ひとつ” ”ひとつ”
大助の代わりにしている。
それは大助への償いの思いを込め・・・ポッカリ開いた
体の風穴を埋めるように
大切な大助の壊れた夢や希望や目標を拾い集めている。

先に逝ってしまった大切な人とのつながりのために
季節の仏事は繰り返される。
季節ごとの行いを重ねていくと
悲しみは薄れていくのでしょうか・・・

7月の終わりに夢を見ました。
中学校で使う「たて笛(リコーダ)」がケースに入っていて
ケースを開けたら大助の歌声が聞こえてきました。
「お兄ちゃんの声だぁー」高音域の声がうらがえりそうな・・・・
久しぶりに聞く歌声はなつかしくて・・・うれしくて目が覚めました。
なんでリコーダからお兄ちゃんの声がしたんだろう。
夢って不思議だね。
1995年8月 新盆