米村 泰彦 
1976年6月30日・・・・
・・・・1996年12月9日


大阪から参加してくれた泰彦君。
たくさんの才能の持ち主。
ご両親がその歌声をCDにされた。
たくさんの歌を作り、歌っていた泰彦くんもすごいが
両親もすごいな。

パネル展は終わったけど、
もうしばらく泰彦君の歌に浸っていよう。

れん母さんのブログから
    朝目覚めると頭の中でメロディが流れている。
昨日は、「家に帰りたくない」のワンフレーズ。
今朝は、「お月さまが言いました」。
日中も ふとした時に頭の中で流れているのは、
「口笛」のワンフレーズだったり、
「折れた翼」のワンフレーズが繰り返されている。
なんてったって、
パネル展の5日間ずっと会場に流れていたし、
もうすっかり魅了されてしまった。
    



   




泰彦さんのお父様から・・・


「時計台」のおじいちゃんは実在していました。
ただ、二人のおじいちゃんが一人になっています。
息子たちと遊び、いろんなことを教えてくれたのは
長男が中学3年のときに他界した私の父です。
大正デモクラシーで青年時代を過ごした彼は、
いわゆるモガ、モボ世代、好きな音楽はジャズ、
舞台といえば、宝塚歌劇、遊びといえばビリヤードでした。
でも、自分では音楽はいたしません、聞くだけの人でした。

ハーモニカの名手は、
家内が3歳のときになくなった家内の父親です。
家内でさえ、釣りをしていた隣で息遣いを感じた、
という程度の記憶しかありませんが、
彼と結婚したいためにプロテスタントの洗礼を受け、
教会に通った家内の母親に
「健さん(父の名)はいかにすばらしかった」かを
幼少期から息子たちは聞かされていたので、
二人をひとつにしたキャラクターを息子たちは作り出しました。

この父が眠るお墓が和歌山の田舎町「橋本」にあります。
子供たちが幼いころは上まで車でいけなかったので。
駅前の駐車場に預けて、歩いて墓まで行きました。
町は、昔の青春ドラマ「青春とは何だ」の舞台になりそうな、
そんな雰囲気があります。
小高い山の上にある墓から、町を一望できる道を駅まで歩く途中に
カトリックの小さな教会があります。
時計台ではありませんが、鐘楼がありこれが真っ赤でした。
町を見下ろす雰囲気はまさにこの教会の辺りから見た
橋本の町なのです。



     


「空虚」の歌詞の2番は、実在した人の言葉です。
家内の母が認知症を発症した頃、
精神的な疲れから落ち込んでいた家内を
励ましてくれた方の言葉です。

これを、彼女が私に伝えている横で息子は
黙って二人の話を聞いていました。
ある日、会社から帰宅すると、
時間が11時を回っているにもかかわらず、
「父上、新しい曲ができたんやけど聞いてくれる」といい、

まあ、ちょっとしたディーナーショーのごとく
この歌を歌いました。
私は、そのときはいい加減に聞いていて
気がつかなかったのですが、
2番はまさに、
家内が私に話した内容そのものだったのです。
彼なりの、
母親への励ましのメッセージだったのかと、
思います。