2003年8月13日

中標津の町の入り口バイパスの路肩でピース号と運転手は一休み

12時30分を過ぎようとしている。

旅の便りを柳原三佳さんに宛て書き終わったところだった。

 

携帯電話が着信を知らせる

手に取る

柳原さんの声・・・・なんて偶然 
旅便りを書き終わったところであることを伝える。

柳原さんは「今、何処にいるのーー」と電話の向こうから尋ねた。

「中標津の町の入り口です」と
受話器の向こうの柳原さんへ私は答えた。

「えぇーーーなんて偶然、
木村富士子さんに会って話を聞いてください」

「お住まいはすぐ近くだと思うから」

 

北海道へ向かう直前に見た柳原さんのHPの掲示板に
書き込みされていた
木村富士子さんにお会いすることになるとは
思いもよらなかった。

柳原さんからの連絡で私の携帯電話に木村富士子さんから
折り返し電話が掛かり

お宅に伺わせていただくことになりました。

木村さんのお宅は通りから少し入ったところでした。

 

柳原さんの掲示板に書き込みされた木村富士子さんの文面からは
切迫した心情が痛々しく、真実を知りたい母の思いが
溢れていました。

 

事件に至る数年間のこと、悟さんの最期の姿、現場検証の写真、
見分図
事故車両の写真を見せていただきました。

 

柳原三佳さんへの手紙
木村富士子さんとの出会い