3年前の今日、俺は空を飛び路面と
DEEP KISSをした。
確かあの日は、良快の天気で第三日曜日だったと思う。
俺は部活の合間を縫って、
今月8日にやったレースと同じ場所に走りに
(もちろん、その頃は”14”だから免許もないし、軽トラにGT80を積んで)
行った。
何周したかよく覚えていないが・・・
タイヤが温まってなかったんだろう
大体そのときは、フロントステアで、しかも初ゴケで
”どうやって逃げようか”なんて考えているうちに
グシャと左足のスネの2本の骨が両方とも折れていた。
以上
起床 |
音楽 |
朝食 |
店番 |
夕食 |
テレビ |
就床 |
8月 19日(木)曜日 | 天候 | 晴れ/曇り | 担任印 | 船戸 |
今日の反省(感想・心境・印象に残ったことなど) |
1992年3月 中学卒業文集
「五ヶ月間の苦労から」 山田大助
8月19日、サーキットへ向かった。そこへ着くと直ぐに走り出した。・・・が
それが一番バカなことだった。一周目にして体が路面にたたきつけられた。
それから、自分が倒れていることに気づきマシンを起こしたが、
その場で動くことができなかった。しばらくして・・・病院へ行って
折れた足を引っ張り、石膏で固めた。
その日の晩は、寝がえりがうてず体中が痛くてなかなか眠ることが
出来なかった。
翌日、入院しても同じようで2日間苦しんだ。その一ヵ月後石膏は外れたが
今度はかかとにドリルで針金を通して引っ張るようになった。
半月が経ち、針金は抜けたが、次は歩くための練習が始まった。
その練習を約半月程続け、ある程度歩けるようになって退院した。
その翌日、保健室でテストを受けた。また、その日から通院が始まり共に
苦痛も始まった。12月半ば、片松葉になった。その時の苦痛は忘れない。
いや・・・忘れたくないと思う。・・・が・・・今では、
何も不自由なく生活することができているし、
やはり、健康が一番だと思っている 追想
8月19日はバイクの日 そして 大助の骨折記念日 |
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