私は息子に部品を取りに行ってもらったことを、あの日以来・・・
ずぅーっと、悔やんでいます。

大助は私の身代わりになって事故に遭ってしまったように感じ
母親の私が生きていることを・・・申し訳なく思っています。

自分が生きている意味を考え続けました。 

私は、大助の目標や夢を
私自身の課題としてやり遂げようと思うようになりました。

そのひとつが、二輪安全運転大会の参加でした。
高校を卒業した1995年6から大助と参加するはずでした。
全国大会の鈴鹿に行くことを目指していた大助、

大助がやろうとしたことを私が代わってすることは、
「大助の思いと共に生きることだ」と思いました。
二輪安全運転大会はこの下の四輪コースと二輪コースで行われます。
二輪の試験コースは大助と共に限定解除の試験を受けた思い出の
場所でした。

大会や安全運転講習会に参加するライダーの姿の中に
大助の姿が重なります。


               



        
                                 

春と秋の練習会と大会に参加しここに来ることは私の生きがいでした。

去年まで12回の参加をいたしました。
大助に・・・約束した
群馬県大会で優勝し
全国大会の鈴鹿に出場する目標は一度果たすことが出来ました。

12年間、大助の夢を追い駆けました・・・

去年9月(2006年9月)初旬に
安協から
二輪指導員講習会と資格受験申請書が送られてきました。
例年10月に行われる二輪安全運転講習会の知らせと同封されていました。
もしも指導員になると二輪安全運転の大会には参加できなくなります。
悩んで・・・悩んで・・・申込締切日の9月22日に
指導員試験を受ける決心をし
安協にFAXしました。
きっと、大助も 指導員資格を取ろうと考えただろう・・・と
思ったからです。

指導員資格試験にトライしようと決心しました。

10月1日の指導員講習会に参加すると若い人ばかり男性が多くて
おばさんは私一人でした。午後の実技講習は雨になりました。
雨に降られながら群自教のコースの中を走り回るのは
苦になりませんでした走れることが 何より嬉しく・・・

こんな母親を大助は見守ってくれていると思うのです。

                        
            2007年1月23日・25日 群馬県免許課職員への講話から



二輪指導員認定書 


 息子の目標を母が継ぐ
 
二輪安全運転大会 群馬
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