事故について


1995年4月22日土曜日の午後1時30分過ぎ


修理バイクの部品を栃木県足利市のディーラーに取りに行こうと
愛車のスズキGSXR750で向かった。

家から10分ほどの高架橋の下り坂の側道から

バックした乗用車が突然進路を塞いだ

急ブレーキを掛けたバイクは転倒し
バイクと共に坂道を滑走した大助は

方向転換しようとした車に轢かれました

事故直後 加害者近親者の暴言
足利日赤病院で大助が検死されている部屋の前に立ち尽くす父親
そこへ
ズカズカと押しかけて来た車の運転者の3人の身内が

息子の死に茫然自失、放心状態の父親に向かって、
「あんたの息子が蛇行運転しながら何台も車を抜き、
偉いスピードを出して勝手に止まっているウチのせがれの車に
ぶつかってきた」などと暴言を捲くし立てました。

事故状況を知らない大助の父はその場で謝罪するしかありませんでした。

交通事故当事者の一方が亡くなっているため、
あからさまに死亡した側に過失を押し付けたのです。
「強く出たもん勝ち」そんな言葉を地で行くような加害者の身内は
直後から事実無根の言動を繰り返し、
大助が抱いていたバイクに対する志(こころざし)や
信念を踏みにじりました。

病院に押しかけた人物は
加害者の義理の親とその知人の自動車整備工場主の妻でした。
工場主の妻は、
「バイクがぶつかったせいでタイヤが曲がって車を動かせず大変だった」
などと息子の検死という場に立ちつくす父親に非道な言葉を浴びせました。

理不尽に息子の命を断絶したのに
事故原因を息子に負わせる加害者の身内の言動を許せませんでした。
加害者の身内を名誉毀損で訴えました。

息子の一周忌を前に

加害者の身内3名は大助の名誉を毀損したと判決が下されました。

 

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